できない理由を挙げるのが得意な人は多い。
「金が無いからできない」「コネが無いとできない」「知識が無いとできない」「今の設備では無理」「セキュリティ上の問題がある」「法規制があるので無理」「周りにそんなことをやった人はいない」、、、
石橋を叩いて渡る、という慣用句があるが、上記の人たちは石橋をたたくだけで渡らないのだ。やれ橋が細い、橋が古い、橋が弱い、ジャマが多い、、、といった具合。
できない理由がたくさんあるのは当たり前だ。なにしろ今やってないんだから。
できないという現状追認をすることは易しい。しかし、何も生み出さない。無価値なのだ。
始末が悪いのは往々にして、これらの人はあたかも専門家の顔をして石橋をたたくのだ。石橋を叩くのが仕事だと勘違いしているフシすらある。できない理由(=無価値なこと)を偉そうに披露し、エラそうに自己満足に浸るわけだ。あたかも自分が価値ある情報を提供したかのように。
断言しておく。これはマスターベーションに過ぎない。気持ちいのは当の本人だけで、それ以外の利害関係者には何らのプラス価値も提供しない。
どうやったら実現できるか?
自分が知らないだけなら知っている人はどこにいるのか、どうやったら手を組めるか?価値があるのはそこなのに価値ある所に知恵を絞ることを放棄している。
この状況を変える出来事が起こった。2020年当初以降、コロナで社会環境は一変した。
大きなお題目として、テレワークの推進、が掲げられた。従前のビジネスモデルが大きく変わりつつある。
有形無形の強制力を持っているので、変わらざるを得ない、という言い方の方が正しいだろう。
例えば、飲食店は持ち帰りやデリバリーを前提に営業するようになった(せざるを得なくなった)。
直接相手の身体に触れるしかないと誰もが思っていた整体やマッサージでさえ、オンライン治療が登場した。
PCスマホの常時接続が当たり前になっているからこそ、オンライン化なんていうアイデアが出てきたわけで、このタイミングでコロナ騒ぎが生じたことにも意味がありそうだ。
(PCスマホがコロナ騒動を煽り立てている面もあるけれど)
「ウチの商品は見てもらってナンボ、対面販売以外あり得ない」と言っていた会社がネットで商品を紹介し、販売を始めた。
私が属していた金融機関でも「情報漏洩が心配なので社外での作業は絶対に不可」という大前提が全く逆転し、どうすればテレワークを機能させられるかと考えるしかなくなった。
面白いことに、やるしかないと追い込まれると、実はやる方法があったんだと知恵が出てくる。
偉そうにやらない理由を声高に叫んでいた人は出番を失った。
ネットで販売できるとなれば、翻訳するだけで市場が世界に広がることも考えられる。
できない理由を挙げるのが得意なエセ専門家から、できる方法を考える生産的な人へ主導権が移った、コロナの一つの影響である。